戦争と差別のない世界

苫米地式コーチング認定コーチの森陽(もりあきら)です。

今回は

戦争と差別のない世界

についてお話します。

戦争と差別のない世界

苫米地式コーチングでは自分のゴールは他人に言わないように推奨しています。

その理由は①ドリームキラー(夢を壊す存在)が現れることと②自分の中にhave to(しなければならない)が生じることからです。

しかし、私のコーチングの師匠である苫米地英人博士は書籍等の中で自らのゴールを

戦争と差別のない世界

だと公言しています。

これはどういうことなのでしょうか?

苫米地博士はかつて

このくらい抽象度の高いゴールだとドリームキラーが生まれようがない

とおっしゃっていました。

そういうことなのだとは思うのですが、私には苫米地博士の意図はさらに別のところにあるような気がしてなりません。

以下は完全に私の推測ではありますが、私なりに苫米地博士の意図を推測し、仮説を述べたいと思います。

苫米地博士は複数の書籍で

空(くう)」について語っています。

空(くう)とは仏教の概念で「有(ゆう)(あること)」と「無(む)(ないこと)」を包摂する一段高い抽象度(抽象度が一番高い概念)の概念だと苫米地博士は定義します。

空(くう)とは有るともいえるし、無いともいえるということ。

空(くう)は抽象度が一番高い概念ですから、この世の全ては「空(くう)」だという結論になります。

一方、苫米地博士は複数の書籍で

不完全性定理

について触れています。

不完全性定理を簡単に説明すると、要するに

この世に完全なものは存在しない

ということです。

空(くう)不完全性定理について、苫米地博士はこれでもかという位に書籍で何回も何回も述べられています。

その意図は、私たちに

この世には絶対的な正しさ(カントのいう「アプリオリ」(証明を要しない正しいもの)は存在しない

と教えてくれているのだと私は考えています。

西暦2018年現在、「絶対的な正しさ」を前提とした概念で私たちは大きく束縛されています。

その束縛は「親孝行」や「勤勉」や「忠誠」などというカタチで私たちの日常に紛れています。

その束縛はほとんどの人に対してその人本来の人生を生きることを阻害し、そして一方である特定の少数の人たちの奴隷となるように仕向けています。

このような状況があるから、苫米地博士は絶対的正しさがないことを教えることで私たちを束縛から解放しようとしてくれているのだと私は思っています。

他方で、絶対的な正しさがないということの表面上の論理を裏返せば

「何をしてもいい」

というところにつながってしまう恐れがあります。

もちろん、苫米地博士は何をしてもいいと主張している訳ではありません。むしろ、苫米地博士は「利他(他人の利益のために何かをすること)」の重要性を強調しています。

このあたりが苫米地博士を理解する上で難しいポイントになってます。

ここで私の理解を整理します。

まず「絶対的な正しさ」はありません。

では私たちはどう生きればいいのでしょうか?

苫米地式コーチングでは

「心から望むゴールを設定し、want to(したい)にだけ従って生きればいい(ただし自己責任で)」

と説明します。

では他者を害するようなゴールを設定しても良いかというとそうではありません。

この点をどう説明すればいいのでしょうか?

以下の記載は完全に私のオリジナルですが、苫米地博士がおっしゃることと趣旨は一致すると考えています。

この世に完全な正しさは存在しないのだから、私たちどう生きてもいいのです。

だから自分だけの利益を追求してもいいといえばいいのです。

ですが、

人間とは自分だけの利益追求しては幸せを感じることが出来ない生き物

なのです。

人間は自分以外の何かのために役に立っていると実感して初めて生きている手応えを感じることができます。

このことを私は痛感しています。

苫米地式コーチング認定コーチになる遙か昔、私には人生に行き詰まり、それこそを死を願う時期がありました。

自殺寸前に追い込まれた状態で、もう自分人生はどうでもいいと投げ捨てていました。

そこから生きる力を得ることができたのは

こんな自分でも役に立つことができる

という実感です。

当時の私が役に立てることはほんの小さなことです。街に落ちているゴミを拾うとかそんなレベルです。

そんなレベルでも、何かの役に立てるのであれば、私は自分の命を自ら捨てたりはしないと思えるようになりました。

何が言いたいのかというと、

どう生きてもいいが、なるべく他者の利益になるように生きることが幸せを感じながら生きるコツなのだ

ということです。

これを苫米地式コーチングの枠組みで表現すると

ゴールの一つはなるべくたくさんの人が幸せになるものにすることが望ましい

となります。

では、なるべくたくさんの人が幸せになる世界とはどんな世界でしょうか?

いろんな答えがあるでしょう。

ですが、最低限これだけはというものがあるはずです。この世でなるべくたくさんの人が幸せに生きるためには最低限ここはクリアーしなければならないというラインがあるはずなのです。そして、そのラインは多くの人が共有できるゴールになります。

それが

戦争と差別のない世界

なのではないかと私は思うのです。

戦争と差別は人々に不幸をまき散らします。正確にはほとんどの人に不幸をまき散らし、ほんの一部の人に莫大な利益をもたらします。

そんな戦争と差別のない世界はこの世で最低限クリアーすべきラインであり、私たちのゴールのLUB(リーストアッパーバウンド)(一段だけ上の共通の抽象度)を苫米地博士が示してくれているのだと私は思っています。

苫米地式コーチング認定コーチの森陽でした。

 

 

 

 

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。 正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。 ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。
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