「アプリオリ」は存在しない!

こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ補森陽(もりあきら)です。

「プロフィール」

私は苫米地英人氏(以下「苫米地博士」といいます。)著「残り97%の脳の使い方」(フォレスト出版)を読み、そして付属のCDを聴いて、苫米地博士はただモノではないと直感し、以降苫米地博士の本を読み漁ってきました。

「私と苫米地英人氏」

どの本も凄いことが書かれており、私は周囲の人にも苫米地博士の本をオススメするようになりました。

私がご紹介し、苫米地博士の本を読むようになった方の中には以降苫米地博士の大ファンになった方ももちろんいらっしゃるのですが、他方「難しくてよくわからなかった」という感想も一部いただきました。

かみ砕いてはくださっているものの、苫米地博士の著書は抽象度の高いお話を多数されており、人によっては確かに難解と感じる部分もあろうかと思います。

そこで、本稿では苫米地博士の著書の中で多くの方が難解と感じるであろう「アプリオリ」及び「不完全性」に焦点を当てて私なりの理解を思いっきりかみ砕いてお示ししようと思います。

もとより私の理解が完全だと主張するつもりはありません。むしろ誤りに気が付かれた方はコメント欄または「お問い合わせ」よりご指摘いただけると大変嬉しく思います。

不完全である可能性を前提としつつ、私の理解をかみ砕いた形でご提示することは苫米地博士への「入り口」となる意義もあろうかと思います。

さらに本稿では「アプリオリ」及び「不完全性」に焦点を当て私なりの理解をお示した後、そこから私が演繹した「人生の本質」を語ろうと思います。

本稿により、多くの人の脳に張り付いている「有害な」幻想を取り払うことができるのではないかと思っています。

そして、本稿の最後に苫米地博士の参考文献を記載しますので、ぜひそちらもご一読ください。

では、始めます。

WikiImages / Pixabay

 

アプリオリ

 

アプリオリとは哲学者カントが提唱した概念で

それ自体で正しいもの

をいいます。

世の中には証明の必要がない「それ自体で正しいもの」があるとカントは主張したのです。

そう言われればそんな気もしてきます。我々には及びもつかない「それ自体で正しいもの」。ありそうな気がしますね。

特にとある存在を前提とするとき、カントの主張はすんなりと受け入れられます。

そうです。

 

「神」

 

です。

「神」は全知全能であり、完全であることが大前提です。たまに間違いを犯したり、知らないことがあったりする不完全な存在を「神」とは呼びません。

 

不完全性定理

 

1931年、数学者ゲーテルが不完全性定理を発表します。

不完全性定理につき、苫米地博士著「人はなぜ、宗教にハマるのか?」(フォレスト出版)より一部引用します。

(引用開始)

不正確な書き方ですが、不完全性定理とは、数学の完全性と無矛盾性が両立することは不可能である、ということを示したものです。

(中略)

つまり、「この命題は証明できない」という命題が、系のなかに必ず入り込むということを証明してしまうと、系の完全性は一気に瓦解(がかい)してしまいます。ゲーテルはそのことを証明するわけです。

(引用終わり)

人によっては狐につままれたような気分になるかもしれませんが、ここで理解すべきは

 

完全性の不存在

 

です。

正確な論理には理解が及ばないとしても、ゲーテルの不完全性定理により「完全性の不存在」が証明されたことを認識しておくことがとてもとても重要です。

ゲーテルは「自然数」についてのみ「完全性の不存在」を証明したのですが、その後1987年に数学者でありコンピューター科学者であるチャイティン数学全般に不完全性が働くことを証明してしまいました。

数学は「この世」全般を記述する最も純粋な記述言語であり、その数学が不完全であると証明されたということは「この世」全般が不完全だと証明されたということです。

このインパクトがお分かりになりますでしょうか?

カントのいう「アプリオリ」は存在しないことが証明されました。

もっと言いましょう。

この世に「神」は存在しないと証明してしまったということです。なぜならこの世に完全なものは存在しないからです。不完全なものを「神」と呼ぶのは構いませんが、しかし、そのような存在を「神」と呼ぶには普通抵抗があるはずです。そもそも神とは「全知全能」な存在であったはずなのに、「全知全能」は存在しないと証明されてしまったのですから、やはり

 

「神は存在しない」

 

のです。

前記「人はなぜ、宗教にハマるのか?」よりもう一文だけ引用させていただきます。

(引用開始)

実際、宗教哲学者のパトリック・グリムは、1991年にグリムの定理を発表し、神は存在しないと証明します。

(引用終わり)

 

skeeze / Pixabay

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量子論

 

上記「不完全性」は物理の世界とも整合します。

私の理解する量子論から導かれる結論はこうです。

物質の構成要素を小さく小さく小さく見ると「ひも」があり、ひもが振動している状態が「有」で、ひもが振動していない状態が「無」です。

しかも、「その場所」(定点)でひもが振動しているかどうかは確率的にしかわかりません。

つまり、物理的存在ですら「有る」ともいえるし、「無い」ともいえるのです。

 

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空(くう)

 

量子論は仏教の開祖である釈迦が提唱した概念である「空(くう)」とも整合します。

「空(くう)」とは「有」と「無」を包摂する一段抽象度の高い概念です。

つまり、有るともいえるし、無いともいえるのが「空(くう)」なのです。

量子論の結論は物理的存在も「空(くう)」だということです。

ただ私たちが物理的存在を「有る」と認識しているだけ。これを「唯識」といいます。

 

 

???

 

ここまでくると、多くの人の頭の中が「???」となっているかもしれません。

いいです。「???」で。

認識しておいて欲しいことは

 

この世に完全性は存在しないこと

 

及び

 

物理的存在もまた不確実な存在であること

 

の二つだけです。

あとはそんなものかとぼんやり思っていただき、以下をお読みいただきたいと思います。

上記を前提として演繹される人生の本質。

ここからが核心部分です。

 

newsong / Pixabay

 

モノサシの不存在

 

かつて私はどのように生きるのが「正しいのか」を追い求めました。

人とは「こう生きるべき」というものが存在し、それに自分を合わせて生きるべきだと思い込んでいました。

逆に言えば、「こう生きるべき」に明らかに反しているであろうと思われる人のことを否定していたとも言えます。

そのような生き方は決して楽しいものではなく、むしろ「苦しみ」ばかりを産みました。

「プロフィール」「生きる意味」をご参照いただきたいのですが、私は自ら死を願うほどに追い詰められていきます。

さて、上記私の認識は「こう生きるべき」という「特定のモノサシ」があるからこそ成り立つ認識です。

しかし、「不完全性」が証明されてしまった今、この世に完全性は不存在なのですから、完全に適用しうる「特定のモノサシ」は存在しえません。

ということは、

 

「特定のモノサシ」に自分を当てはめる義務がないことは当然のこと、「特定のモノサシ」で人を評価することも無意味なのです!

 

私は苫米地博士が論を尽くして「アプリオリ」や「不完全性」等を解説してくださるのはこのことを私たちに伝えたいからなのだと思っています。

苫米地博士が公言されている自身のゴールは「戦争と差別がない世界」です。

差別は「特定のモノサシ」を人に当てはめることによっておこります。

戦争は「特定のモノサシ」当てはめ、相手の国及びその国民を全否定するからこそ遂行することができます。

しかし、不完全性が証明された今、あらゆる「モノサシ」が不完全だということになります。

ということは、いかなる戦争も差別も正当性を持ちえません。

「差別根絶宣言」で詳述していますが、私もありとあらゆる差別を否定します。

(差別についてのその他の記事は「まとめ「儒教批判」編」をご参照ください。)

国家レベルでの差別が戦争ですからもちろん戦争も否定します。

私は苫米地博士のゴールである「戦争と差別のない世界」は最低限この世にもたらすべきものだと思っています。

戦争と差別のない世界」実現のためには本稿のタイトルである「アプリオリの不存在」を地球上の多くの人が認識することがどうしても必要です。

ハピリプの読者であるあなたにお願いです。

自身の心の内を深く深く観察してみてください。

何か特定のモノサシで自分や他人を否定的に評価することはないでしょうか?

出身地であったり、性別であったり、年齢であったり、年収であったり、外見の美醜であったり、発現している能力であったり、などなど。

その評価が果たして正当なものかどうかよくよく吟味して欲しいのです。

この吟味を徹底的に行うことがあなたを限りのない自由へと導くのです。

Bhakti2 / Pixabay

 

自由

 

アプリオリの不存在は人間に自由をもたらします。

徹底的に吟味していただき、ご実感いただけると思いますが、特定のモノサシは存在しえないのです。ですから、「こう生きるべき」も存在しえません。

「こう生きるべき」は存在しえないのですから、

自分の人生を自分で自由にデザインしていいということになります!

この結論にたどり着いたとき、私は衝撃を受けました。

今まで「こう生きるべき」といういわば外から与えられた規範に沿って生きるのが「偉い」と思い込んで生きてきたのです!

しかし、「こう生きるべき」は存在しえなかったのです。

これを衝撃と言わずしてなんと言うでしょうか?

あなたはどうですか?

 

 

心から望むwant toのゴール

 

コーチングでは

心から望むwant toのゴールを設定してください。

と説明します。

外から与えられた規範ではなく、自分の中から沸き起こってくるwant to に従ってゴールを設定し、そこに邁進する人生。

どうですか?

自由を感じませんか?

ではでは。

森陽でした。

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

苫米地英人氏著「頭の回転が50倍速くなる脳の作り方」(フォレスト出版)

苫米地英人氏著「苫米地英人、宇宙を騙る」(角川春樹事務所)

苫米地英人氏著「お釈迦さまの脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くのか?」(小学館101新書)

苫米地英人氏著「人はなぜ、宗教にハマるのか?」(フォレスト出版)

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。 正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。 ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。
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