Integrityの奥底にあるもの

こんにちは、苫米地式コーチング認定コーチ 森陽(もりあきら)

前回の記事「Integrity~能力の欠如は許しても真摯さの欠如は許さない!」では真摯さ又は誠実さの重要性について深く掘り下げました。

およそ人間関係を円滑にするためには真摯さまたは誠実さは欠くことのできない要素です。

では真摯さまたは誠実さとはどこから来るものなのでしょうか?

今回は「Integrityの奥底にあるもの」と題し、深く掘り下げていこうと思います。

Integrityの奥底にあるもの

Integrityは「誠実さ」や「真摯さ」と訳されますが、その意味するところは必ずしも明確ではありません。

しかし、明確ではないものの、「誠実さ」や「真摯さ」という言葉が想起するイメージを私たちは共有することができます。

自身の思考や行動をよくよく振り返ってみたとき、それが誠実であったか、それが真摯であったがをはっきりと判別することができるはずです。

他人の行動やそこから読み取ることができる思考が誠実であったか、真摯なものであったかもまた人は敏感に感じとることができます。

上手に誤魔化しているつもりでも、ごまかしきれるものではありません。他人を誤魔化すこともできませんし、自分を誤魔化すこともできません。

これがIntegrityです。

ではこのIntegrityは一体どこからくるのでしょうか?

答えは

「良心」

です。

一部の例外はあるのかもしれませんが(「サイコパス」といって良心を持たない人間が存在すると言われています。)、ほとんど全ての人は生まれながらに良心を持っています。

この良心を奥底にして表に出てくる思考や態度が誠実さであり真摯さなのです。

私は良心に従って生きることが幸せな人生を送るための絶対条件であると確信しています。

ところが、厄介なことに、この良心はよく目先の利益に眩んでしまいます。

良心と目先の利益は相反することも多いからです。

「いじめられている人を助けたいと思っても、助けようとしたら自分がいじめられるからやめておこう」とか、「不公正な取引だけれでも自分が儲かればいいや」などというのがいい例です。

どう誤魔化そうとも、心の深いところでは自分が良心に反した行動をとっていることをちゃんとわかっています。

また良心は差別心によっても容易に曇ります。

自分より下だと位置付けた人をぞんざいに扱ってもよいと考えてしまうのです。

差別心は社会から強烈に埋め込まれており、また自身の精神状態にとってもラクであることから、人はそれと自覚することなく容易に差別心を抱きます。

それと自覚がなくても差別心は明らかに良心に反するものです。

差別心は差別される者はもちろん、差別する者の心をも深く蝕みます。

よくよく眼を開き、あなたの中から差別心を追放して欲しいと強く願います。

他でもないあなたの幸せのために、です。
 

 

 

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。 正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。 ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。
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