三郎の義務義務人生

こんにちは。森陽(もりあきら)です。

今回は私の友人の友人である三郎(さぶろう)さんのお話しをしたいと思います。

(以下敬称略)

 

skeeze / Pixabay

 

三郎の義務義務人生

 

三郎は「一生懸命」に「努力」して勉強していました。

なぜならば一生懸命に努力して勉強することは「偉い」行為だからです。

どうして一生懸命に努力して勉強することが「偉い」行為なのかですって?

そんなの決まっています。一生懸命に努力して勉強すると親や先生から褒められるからです。

三郎は勉強自体が好きでたまらないわけではもちろんありません。勉強はいわば「義務」であり、「義務」を果たせば親や先生に褒められるから一生懸命に勉強するのです。親や先生に褒められたとき、三郎は至福の喜びを味わうのでした。

一生懸命に努力して勉強した甲斐あってか、三郎は高校受験大学受験ともにそこそこの成果を残します。

一生懸命に努力して勉強している自分は「偉い」人間なのだと三郎は疑いなく思っています。

ちなみに三郎は勉強以外でも「偉い」存在でなければならないと思っていました。

 

礼儀正しくあらねばならない。

人には優しくなければならない。

明るく振る舞わなければならない。

男子たるもの強い存在でなければならない。

etc

 

そんな「偉い」存在であろうと三郎は日々努力を重ねるのでした。

そんな「偉い」存在である三郎は他人から尊敬されて当然のはずなのですが、しかし三郎は人間関係がどうもしっくりこないのです。

人との距離感が今一つかめない三郎はいつも気を遣って疲れてしまいます。他人の言動にいちいち一喜一憂(いっきいちゆう)しているのですから、疲れてしまって当然です。

極め付けは女子に全くモテません。三郎の悩みの種でした。

 

そんな悩みを抱えつつも、「偉い」人間でなければならない三郎は国内最難関と言われる試験に挑戦します。

やりたいことを全て我慢して、偉い人間の義務である「勉強」を血反吐を吐くような思いで頑張ります。三郎にとっての試験勉強とは本当はやりたくないけどやるべきものであり、我慢して頑張って努力してするものでした。やりたいことを我慢して本当はやりたくないことを努力してやっている三郎はだんだんと苦しくなってくるのですが、「苦しくなってからが勝負だ」などと自分を鼓舞(こぶ)しつつ、なお一層の努力を続けるのでした。

今までもそうやって努力して一定の成果を挙げてきた三郎でしたが、国内最難関の試験だけは思うような結果を出せません。

こんなに努力しているのに結果が出ない。

結果が出ない自分のことなど誰も尊敬してくれやしない。

三郎は目の前が真っ暗になりました。

今まで精いっぱい気を張って努力を重ねてきた三郎でしたが、努力の結果を得ることができず、遂には努力することができなくなってしまいました。

努力することができなくなったばかりか、生きることに対する意欲も失いつつありました。

過去は苦しいことばかりだった。今も苦しい。楽しい将来だって思い描けやしない。

自分はなんの役にもたたず、死んだ方が世の中のためだと思うようになりました。

今まで三郎は「義務」を果たそうと努力を重ねてきましたが、死を思ったとき、もう努力はどうでもよくなりました。

せめて死ぬ前にやりたいことをやろうなどと思うのですが(三郎にとっては「やりたいことをやる」は反社会的行為に等しいものでしたが、死を意識した三郎はやけっぱちになっているのでした。)、なんと自分のやりたいことが何なのかすらわからなくなっていたのです。

「俺がやりたいことって何だろう?」

などとなんともやりきれない問いを発する三郎なのでした。

三郎は努力することができなくなり、勉強することをやめてしまいました。

「死のう」と思うのですが、まだ20代の三郎には「生」にも未だ未練があり、なんとか生きる道はないものかと思案を始めます。ここが三郎の人生の大きな転機となります。

紆余曲折あり、三郎は苫米地英人氏著のとある書籍に出逢います。

そこには「have to(~しなければならない) は一切必要ない。want to(~したい)だけで生きる」ことが推奨されていました。

三郎は衝撃を受けます。

三郎にとってwant toで生きることは反社会的行為にも等しかったのです。want toで生きている人は怠惰で見下すべき存在ですらあったのです。しかし、have toだらけの人生で力尽きてしまった三郎は、want toで生きることに仄かな魅力を感じることを避けることはできませんでした。

ここから三郎の人生は少しずつ、しかし大きく変化していくことになります。

(続く)

 

9948e10ba54d83ae2d27e7a8182e1361_s

 

というわけで

 

三郎の物語はフィクションです。

太郎次郎の物語もまたフィクションであり、実在する人物や団体等は一切関係ないのですが、三郎にはモデルが存在します。

 

三郎のモデルが誰なのかは読者のご想像にお任せするとして、三郎の物語で伝えたかったことは

人はいかに義務感に囚われやすいか

ということと

義務感から生きることがいかに愚かしいか

ということです。

そして、「「Want」で生きていい!!!」で、ある意味当たり前のことをなぜあれ程までに強調する必要があるのかということの一つの実例としてお示ししたという意味もあります。

きっと義務感から生きている人は三郎だけではないはずです。もしかしたらあなたもそうかもしれませんね。

でも大丈夫です。

むしろ今まで義務感に縛られていた人ほど「Want」のパワーに気が付き動き始めたとき大きな変化が訪れます。

それはそれは楽しい変化ですよ^^

 

ではでは。

森陽でした。

 

※過去の記事をご覧になりたい方は

「サイトマップ」

「まとめ「コーチング」編」

にアクセスいただけると便利です。

 

※当ブログの更新はツイッター及びフェイスブックで告知しています。

 

LINEで送る
Pocket

森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。

正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。
ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。

カテゴリー: コーチング タグ: , , , , , , , , , , パーマリンク

コメントを残す