鋳型をはめる親(その1)

こんにちは、苫米地式コーチング認定コーチの森陽(もりあきら)です。

 

ハピリプコーチングにお越しいただき、ありがとうございます。

 

「親」という存在は子どもの庇護者であり、愛情を与える存在であり、そもそも生命を与えてくれた存在です。子どもにとって親はそれはそれは大切な存在であり、子どもは親を強く愛し、また親の愛情を強く求めます。

 

あらん限りの愛情と知恵をもって素晴らしい子育てができる親ももちろんいます。

 

しかし、他方で、自らの情緒の不安定さにより、または智恵の不足から極めて不適切な子育てをしてしまう親も残念ながらいます(愛情の不足ではありません。)。いわゆる「毒親」と呼ばれる存在です。

 

以前の記事で小石川真実氏著「親という名の暴力」(高分研)という本を紹介しました。

この本は東大を出て医者になったものの、毒親に育てられた精神の歪みにずっと苦しめられていた著者(以下「真実さん」とお呼びします。)が自らの体験を赤裸々に語ったものです。

 

この本に書かれていることは私のゴールにとってとても大切なものですので、時間をかけてこの本に関連したお話を少しずつ語っていこうと思います。

 

今回はこの本でたびたび登場する「鋳型(いがた)」という言葉についてお話を進めることにします。

 

鋳型をはめる親

 

「親という名の暴力」の中で真実さんは繰り返し「母親から鋳型をはめられた」という表現を用いています。

 

鋳型(いがた)とは「①鋳物を鋳造するときに、溶かした金属を流し込む型②物事をはめこむ一定の枠、きまりきった形」(三省堂 大辞林)のことをいいます。

 

真実さんは本来の自分を押し殺し、お母さんが気に入る「型」に自分をはめ続けたというのです。

 

それは外面に現れる立ち振る舞いに限らず、心の中までにも及び、たとえばドラマに出てくる人物に対する感情もお母さんと同じようにしようとしたそうです。お母さんが褒めれば自分も心から好ましいと思い、お母さんが怒れば自分も心から怒るといった具合です。

 

真実さんはお母さんからはめられた「鋳型」が自分を苦しめる根本原因だと見なしており、私もそれは当たっていると思います。

 

少し想像してみてください。

 

幼稚園児や小学生が自分で感じたとおりの表現を許されず、親が気に入る表現ばかりしていたらどうなるでしょうか?

 

確実に魂が死滅していきます。

 

親は意識していないでしょうが、子どもにとって親は絶対的な存在です。親に否定されて子どもは生きていけません。

「親は神様」参照

 

親がそうしろと強く強制すれば、子どもは親の言うとおりにするでしょう。たとえ「感じ方」という極めて主観的で個人的なものであっても、です。

 

そして、

 

自分の「魂」を押し殺し、親の気に入る自分を演じ続けた子どもは、いつしか自分の魂が何なのかさえわからなくなっていきます。

 

真実さんが「親という名の暴力」の中で繰り返し問題としている「鋳型をはめる」という行為は極めて残酷な行為です。物理的侵食を伴う暴力とことなり目に見える傷を残すことはありません。しかし、目に見えない魂に多大な傷を残します。最悪自殺に至るレベルの傷です。実際、真実さんは何度も自殺を試みました。幸いにして未遂に終わっていますが、一歩間違えれば本当に死んでしまった危険性が大いにあります。このように考えると「鋳型をはめる」という行為は殺人にも匹敵するというべきです。

 

この事実をまずはしっかりと認識する必要があります。

 

今回は以上です。

 

苫米地式コーチング認定コーチの森陽でした。

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まとめ「親という名の暴力」編

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。 正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。 ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。
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