孔子に物申す!

こんにちは。森陽(もりあきら)です。

今日は「孔子に物申す!」というお話しをします。

孔子とは紀元前5世紀前後に中国で儒教を開いた人です。そして、儒教のいわば聖書に当たるのた「論語」ですが、論語の一節にこうあります。

まずは原文。

「子曰、巧言令色、鮮矣仁」

次は書き下し文。

「子(し)曰(いわ)く、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すくな)し仁(じん)」

現代語に訳すとこんな感じ。

「先生はおっしゃいました。言葉がうまくて、着飾っている人は仁が少ないです。」

先生とは儒教の始祖である孔子のことです。「仁」とはその実態が判然としない概念なのですが、「人間としての良い性質」のような意味で使われます。

これを読んで大抵の人がこのように受け取ります。

言葉が上手なばかりで、外見ばかりを着飾っている人は、人としての性質が良くないのだ。だから、言葉を並べたてず、外見も着飾らず地味にしていることがいいのか。

「仁」がぼんやりしているだけに、何となく納得させられてしまいます。

が、ハピリブはこの「子曰、巧言令色、鮮矣仁」に物申します。

けむに巻かれず、よく考えてみてください。

「巧言」とはすなわちディベートが強いということです。ディベートが詭弁(きべん)の技術と誤解している人もいますが、ディベートは論理を突き詰めるものです。つまりはズルい思惑を排除して、論理で物事を決断しようとする技術で、本来とても公正なものです。であるのに、「巧言」が「鮮矣仁」とはどういうことでしょうか?

「令色」とは綺麗に着飾ることです。現代風にしっくりくる感覚で言うと、単にオシャレだということです。オシャレであることが人間といての性質が良くないとはどういうことでしょうか?

こう考えると「巧言令色、鮮矣仁」はもうただの戯言(ざれごと)です。

孔子は本音のところではこう言いたかったのです。

ディベートに強くなって私を打ち負かしてはいけない。オシャレな服装をして私より目立ってはいけない。私の言うことが変だと思っても、論理で反論しようとしてはいけない。地味で目立たなくしていて、ただ私に従いなさい。

おいおい(怒)です。

「孔子」という権威が目を曇らせます。

権威を疑い、目を開いてください。

ではでは。

※この記事は儒教批判の一環として書いています。儒教批判の他の記事については「まとめ「儒教批判」編」を参照ください。

※ハピリプにの記事はこちら(サイトマップ)にまとめていますので、よかったらご覧ください。

(参考文献)

苫米地英人氏著「洗脳論語」(三才ブックス)

 

 

 

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。 正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。 ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。
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