空(くう)だから自由

こんにちは、苫米地式コーチング認定コーチの森陽(もりあきら)です。

前回の記事「空(くう)」では仏教の中核的概念である「空」についてかなり掘り下げて書きました。空を体得することは簡単ではありませんが、空を体得することで一気に世界が開けていきますので、空を体得することには計り知れない意義があります。

今回の記事は「空(くう)」をしっかりと読み込んでいただいていることを前提に「自由」について語っていこうと思います。

空(くう)だから自由

Gil-Dekel / Pixabay

きっとあなたは自由になりたいと願っています。

目の前の世界が不自由だからです。

目の前の世界が不自由だから自由になりたいと願います。

自由になりたいと願いながらも不自由な日常が続いていき、どこかで不自由な日常を受け容れています。

日常が不自由だということは何かに「束縛(そくばく)」されているということです。

何かに束縛されているからこそ自由になりたいという願いが生じてきます。

ここで一つ質問をします。

一体あなたは何に束縛されているのでしょうか?

角度を変えて質問します。

あなたを束縛しているものは一体何なのでしょうか?

なんとなく漠然と束縛を感じるものの、束縛の正体について吟味したことはほとんどないのではないでしょうか?

あなたを束縛しているものの正体をしっかりと吟味してみてください。

そして、あなたを束縛しているものが物理空間にあるのか情報空間にあるのかを考えてみてください。

人間は物理空間にある束縛をそれほど嫌だとは感じないものです。

例えば瞬間移動が出来ないからといって激しい苦痛を感じる人はそう多くはありません。

とすると、あなたを苦しめる束縛のほとんどは情報空間にあるはずです。

そこでまずは情報空間にある束縛をしっかりと洗い出します。

そして洗い出された束縛を吟味します。

情報空間での束縛は何かをアプリオリ(それだけで正しいとされるもの)だと受け容れていることによって有効になります。

しかし、この世にアプリオリはありません。

「アプリオリ」は存在しない!

ならばあなたを縛っている束縛はあなたが受け容れることをやめた瞬間に束縛ではなくなります。

束縛を一つ一つ吟味し、受け容れることをやめさえすれば自由です。

分かってしまえば単純です。

初めから自由なのです。

ただし、自由だということは全てが自己責任だということでもあります。

「自己責任」を覚悟する!

不自由さが生じる一つの原因は幻想に縛られていることにありますが、もう一つは自己責任をとる覚悟ができていないことにもあります。誰かの責任にしたいから誰かの言うことを盲目的に聞こうとするのです。

誰かの責任にしたい気持ちは分からなくもありませんが、しかし結局のところあなたの人生にはあなた以外誰も責任を取ってくれませんし、取ることもできません。たとえ親であってもあなたの人生に責任を取ることは不可能です。

誰かに責任を取ってもらいたいという気持ちも結局のところ幻想に他ならず、あなたの人生はあなた自身で責任を取るしかありません。

ならばしっかりと自己責任を覚悟し、束縛という幻想を打ち払って自由に生きた方がいいに決まっています。

この世は空(くう)です。

空(くう)だから虚しいのではありません。

空(くう)だから自由に設計していいのです。

空(くう)だから自由なのです。

もしかしたら今あなたは生きづらさを感じているかもしれません。

生きづらさを解消したいと思いつつもその方法が見つからないともがいている方もいるでしょう。

生きづらさを解消するもっとも根本的な方法は

空(くう)だから自由

をしっかりと理解することに尽きます。

空(くう)だから自由」をしっかりと理解したその先に幸せで楽しい世界が待っています。

今回は以上です。

苫米地式コーチング認定コーチの森陽(もりあきら)でした。

まとめ「コーチング」編第2章

 

 

 

 

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。 正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。 ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。
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