モーレツサラリーマン太郎の人生

こんにちは。森陽(もりあきら)です。

今回は私の友人の友人である「太郎さん」のお話しをします。

(以下敬称略)

PanJoyCZ / Pixabay

 

モーレツサラリーマン太郎の人生

 

太郎はとある会社に勤務するモーレツサラリーマンです。

残業や休日出勤を厭わずモーレツに働き、会社が彼に期待する以上のパフォーマンスをあげていきました。

上司の命令はどんな理不尽なことであっても絶対に従い、「上」の覚えはとてもめでたいものでした。

転勤を断るなどとんでもないことです。会社の命令とあらばどんなところでも喜んで馳(は)せ参じました。

家族には相応の負担をかけましたが、自分は家族のために頑張って働いているのだから、家族は自分に協力するのが当然だと思っていました。

3人の子ども達はそれぞれ転校を余儀なくされました。小学6年生で転校することになった子どももいますし、中学3年生で転校することになった子どももいますし、高校2年生で転校することになった子どももいました。その子たちはせっかく仲良くなった友人と一緒に修学旅行に行くことはできませんでした。

子ども達にとってはそれぞれ一大事でしたが、太郎にとっては「些事(さじ)」にすぎませんでした。なぜなら、自分は家族のために働いているのですから、家族ならばその程度の不利益は受忍して当然のことだからです。

太郎は上司の理不尽な命令にも従順に従い、会社で順調に出世します。

しかし、理不尽な命令に従うのも、残業や休日出勤も太郎にとっては大きなストレスでした。

そのストレスを紛らわせるため、家に帰っては毎晩酩酊するまでお酒を飲みました。しかも、妻や子ども達に絡みながら飲酒する絡み酒です。

自分は家族のためにこんなにもぼろぼろになって頑張って働いているのだから、家族は自分の話しを聞くのが当然の義務だと思っていました。

妻には家事があり、子ども達には勉強や遊びがあるのですが、そんなことは歯牙にかける必要のない「些事」であり、自分の話しを聞くことの重要性に比べれば取るに足らないことにすぎませんでした。

ときには苛立(いらだ)ちにまかせてものを投げ、家財道具を破壊したこともありましたが、「人間に手を出していないのだから何の問題も無い」というのが太郎の言い分です。自分はこんなにも頑張っているのだから、こんなにもぼろぼろになっているのだから、家具くらい破壊しても当然に許されるべきなのです。むしろ、こんなに頑張って苦しんでぼろぼろになっている自分をしっかりと理解し、尊敬しない家族はけしからんな存在だと思っていました。

酒によっては夫婦喧嘩をし、物を投げつけ、毎晩のように子ども達に絡むことが子ども達の成長にとってどんな悪影響を及ぼすかなど太郎は考えたこともありませんでした。

というか、酒に深く酔って酩酊してしまっているので、自分がしたことを翌朝には全く覚えていないことがほとんどなのです。

このように家族には多少の負担をかけながらも太郎はモーレツに働き、順調に出世していきます。

出世すればするほど当然収入も増えていきます。

太郎はいい車に乗り、いい家に住み、最新の家電製品に囲まれる生活を手に入れました。太郎は得意満面です。

もともとは写真を撮るのが大好きで、写真家になりたいなどと馬鹿なことを考えたこともありましたが、そんな馬鹿げた考えをいつまでも持ち続けているほど太郎は愚かではありません。

人は「金」のためにやりたくないことを我慢してやるべきであり、我慢してやるべきことをやっている自分は人として「格上」な存在なのだと思っていました。

子ども達が「漫画家になりたい」だの「ミュージシャンになりたい」だの馬鹿げたことを言ってきたときは父親の当然の義務としてしっかりと諭してやりました。「馬鹿げた夢を見ていないで、しっかりと現実を見なさい。」と。

子ども達は太郎の言いつけをよく聞いて、今では普通にサラリーマンや公務員をしています。太郎にとっては子ども達の学歴が自分の期待より低いことが多少なりとも不満でしたが、まあ「安定」した職業についているのでよしとしました。子ども達が「安定」した職業についているのは太郎のおかげです。子ども達が心から願った職業かどうかは太郎には関係ありません。

そんな太郎は会社でも順調に出世し、ついには社長にまで昇りつめます。

社長といってもいわゆる「やとわれ社長」ですので、常に株主の意向を忖度(そんたく)しなければならず気が休まる暇などありません。

それでも社長としての「分」をわきまえている太郎は無謀な挑戦などせず、部下の馬鹿な提案をはねつけてリスクを極力排除しながら会社のかじ取りをしたおかげで、太郎は大過なく社長の任を果たすことができました。

そして、太郎は多額の退職金を受け取り長年勤め上げた会社を定年退職しました。

そのとき太郎は65歳になっていました。

さあ、ここから自分の人生を生きるぞと太郎は張り切ります。お金だってたくさんあります。やりたいことは何でもできそうな気がしてきました。

と思っていましたが、退職してからめっきりやることがありません。会社の期待に応えることにすべての思考を費やしてきた太郎は自分のやりたいことが何なのかわからなくなっていました。その現実に太郎は愕然とします。

しかも、社長までになった自分のことを、退職したら周囲の人は誰も尊敬してくれません。あんなに来ていたお歳暮や年賀状もぐっと少なくなりました。

こんなはずでは。

そんなある日のことです。

太郎は明け方「うっ」と首筋に痛みというか衝撃が走りました。助けを呼ぶ間もなく、太郎は翌朝目を覚ますことはありませんでした。太郎享年66歳、死因は心筋梗塞でした。

太郎は死の直前、自分が産まれてから死の直前までの人生を脳内で再生していました。しかも、本当に大切なものが何かを死の直前になって太郎は悟ってしまったのです。悟ってしまった状態で太郎は自分の人生の再生を見なければなりませんでした。

しまった!

家族をもっと大切にしておけばよかった!

もっとやりたいことをやっておけばよかった!

子ども達にもやりたいことをやらせてあげればよかった!

お金のためにやりたくないことにだけ人生を費やしてしまった!

お金で得たぜいたく品には大して価値などなかった!

などなどの思いが太郎の胸中を駆け巡ります。

しかし、今となっては家族に謝罪することさえできません。

やりたいことをやる時間もすでにありません。

そんな太郎の人生の再生が終わろうとしたとき、また産まれたときに巻き戻って再生を始めてしまいました。

あろうことか悟ってしまったこの状態で、後悔に満ちた太郎の人生が何度も何度も終わることなく永遠に太郎の脳内でリピートされるのです。

麻酔無しで体を切り刻まれるような苦痛が太郎を襲いましたが、その苦痛は終わることなく続きます。

頼む、お願いだからこのリピートを止めてくれ!

太郎は叫び出しそうになりましたが、叫ぶことができるはずもなく、太郎の願いむなしく人生の再生は止まることなくリピートし続けるのでした。

もちろん、人生の永遠のリピートは太郎の脳内の完全主観のイベントであり、外(そと

の世界では太郎は一瞬にして死亡しています。

家族にとっては、太郎は普通に寝て、朝起きたら亡くなっていたことになります。

「お父さん、突然だったけど苦しまなくてよかったね。」

などと話しています。

太郎の葬儀は遺族により盛大に執り行われました。

遺族の胸中は読者のご想像にお任せするとして、太郎の物語はここで終わります。

 

 

というわけで

 

以上はすべて私の創作であり、完全にフィクションです。

友人の友人に「太郎」という人物はいませんし、実在のいかなる人物も会社も無関係です。

宇田和志」さんという方のYouTube動画で「チップ・バース+ダン・ハース著「アイデアの力」(日経BP)」という本が紹介されており、その本の冒頭で

「物語が力を持つ」

という趣旨のお話しがされていましたので、私も物語を書いてみようと思い立ち、本稿が作成されました。

フィクションではありますが、太郎の人生、あなたの人生の参考になりませんか?

実は苫米地式コーチングのエッセンスがちりばめられています。

もう一回読んで探してみるのも面白いかもしれませんね。

ではでは。

森陽でした。

※参考記事

「天国と地獄」

(あとがき)

一つ強調するとするならば

あなたはまだ生きている!

ということです。

だってこの記事を読んでますから^^

(あとがき終わり)

 

 

 

 

 

 

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。

正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。
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