先輩に敬語?

こんにちは。森陽(もりあきら)です。

先日「無自覚な詐欺師」の中で「人は○○すべき」の「○○」の例として「先輩には敬語で話すべき」をあげました。そして、それは誰かから言われて作り出されたブリーフシステム(信念の体系)であり、打ち破るべきものであるという趣旨のことを書きました。

もしかしたら、先輩に敬語で話すべきは当然のことだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。むしろ、そのような方がほとんどでしょう。そこで、今日は「先輩に敬語?」と題し、この点を深く掘り下げてみたいと思います。

中学校くらいになって、特に運動部に入部すると、上下関係を厳しく叩き込まれます。先輩には当然敬語で話さなければなりません。ひどいのになると、先輩の言いつけは絶対だとして後輩はパシリ状態になってしまいます。

私は大学時代合気道部に入部したのですが、その時に先輩に言われたのですが、1年生は「奴隷にすなれない存在」であり、2年生は「奴隷」、3年生でやっと「人」、4年生は「神」なのだそうです。そのくらい価値に差があると教え込み、実際の待遇もそれに準じたものでした(似たような価値観は社会人でもいたるところにあります。むしろ日本の会社ではこのような価値観が主流とさえいえるでしょう。)。

奴隷以下から神までの階級制は論外であり、敢えて詳述する気にもなれませんが、「先輩に敬語」は当然だと多くの人が思うのでしょうから、この点についてはハピリプで熟考しましょう。

はたして「先輩に敬語」は当然なのでしょうか?

運動部の先輩や顧問は言います。先輩には敬意を払うべきだと。

しかし、その主張を裏返せば、後輩には敬意を払わなくてよいということです。実際、たいていの場合、後輩にはタメ口が使われますし、それは命令口調である場合すらあります。

なぜそれが許されるかというと、先輩と後輩には「価値に差がある」からです。先輩には高い価値があるから恭(うやうや)しく接するべきであり、後輩には低い価値しかないからぞんざいに扱ってよいという理屈です。

これは「人の価値に差がある」という差別の論理です。そして、この価値観の根底には儒教があることは明らかです。

ほとんどの人が「差別はいけません。」というと同意してくれるでしょう。しかし、そういう人でも「先輩には敬語」を当然だと思っているのです。ここに差別意識の根深さがあります。

「先輩にも敬語、後輩にも敬語」だというなら何の問題もありません。あらゆる人に敬意をもって接するべきだというのは人として当然の主張だからです。しかし、「先輩には敬語」だけれど「後輩にはタメ口」は明らかに差別です。

ハピリプは

明確に差別を否定

します。

しかも、

ありとあらゆる差別を否定

します。

さらに、差別を助長しているのが儒教ですから

儒教を否定

します。

ではでは。

※ハピリプの記事はこちら(サイトマップ)にまとめていますので、よかったらご覧ください。

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。

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