聖徳太子に物申す!

こんにちは。森陽(もりあきら)です。

今日は「聖徳太子に物申す!」というお話しをします。

中学の歴史で学習したことの復習ですが、聖徳太子とは飛鳥時代の人で、推古天皇を補佐した摂政でありまして、今でいうところの総理大臣です。昔の一万円札にものっていました。

聖徳太子は「十七条の憲法」というものを作っています。これは中学の歴史のテストで出たりするものですね。「十七条の憲法」の第一条にこうあります。

まずは原文。

「以和為貴、無忤為宗」

書き下し文にするとこんな感じ。

「和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きことを宗(むね)とせよ。」

現代の言葉にすると

「仲良くして、喧嘩しないようにしなさいね。」

というところです。

一見何の問題もなさそうなこの条文ですが、それどころかいいことを言っているように思えるこの条文にハピリプは物申します。

確かに仲良くすることはいいことのように思えます。喧嘩は嫌だと思う感情を否定するつもりもありません。「和(わ)」はいいことです。

しかし、この「和」という言葉は曲者(くせもの)です。なぜ曲者か?

聖徳太子は「十七条の憲法」という憲法で「和」を国民に押し付けています。押し付けられた国民としても、仲良くすることはいいことじゃん、となんとなく思います。

しかし、自分の権利や自由を侵害された状況になったときはどうでしょう?権利や自由の回復を求めて戦うなと言っているように聞こえませんか?権利や自由を侵害されても泣き寝入りしろと言っているように聞こえませんか?

また、場の空気を読めと言っているようにも聞こえないでしょうか?場の空気を読んで余計な自己主張をするなと。

権利や自由を侵害された場合、その回復を求めて戦うべきです。その場合、場の「和」は乱れますが、それでいいのです。非は権利や自由を侵害している側にあることは明らかです。

何もいたずらに喧嘩しろと主張したいわけではありません。しかし、喧嘩すべき場面もあると主張したいのです。そこにきて、「和を以って貴しとなす」などと権力が国民に言うということは、それはとりもなおさず、泣き寝入りしろ、権力に逆らうなというメッセージがあると捉えるのが自然でしょう。

ハピリプとしても個人が権利や自由を享受したうえで、互いに仲良くできるなら何も言うことはありません。

さらに進んで、個人が輝き、互いに貢献しあっているならどんなにいいでしょう。

ではでは。

(参考記事)

KY上等!

私は儒教を否定します

※ハピリプの記事はこちら(サイトマップ)にまとめていますので、よかったらご覧ください。

 

 

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。 正面から真剣に本当に役に立つ情報を発信しています。 ハピリプがあなたの幸せにほんの少しでも貢献できたらとても嬉しい。
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