自己肯定感を獲得するための悲しい努力

こんにちは、苫米地式コーチング認定コーチの森陽(もりあきら)です。

 

ハピリプコーチングにお越しいただき、ありがとうございます。

 

「親」という存在は子どもの庇護者であり、愛情を与える存在であり、そもそも生命を与えてくれた存在です。子どもにとって親はそれはそれは大切な存在であり、子どもは親を強く愛し、また親の愛情を強く求めます。

 

あらん限りの愛情と知恵をもって素晴らしい子育てができる親ももちろんいます。

 

しかし、他方で、自らの情緒の不安定さにより、または智恵の不足から極めて不適切な子育てをしてしまう親も残念ながらいます(愛情の不足ではありません。)。いわゆる「毒親」と呼ばれる存在です。

 

以前の記事で小石川真実氏著「親という名の暴力」(高分研)という本を紹介しました。

この本は東大を出て医者になったものの、毒親に育てられた精神の歪みにずっと苦しめられていた著者(以下「真実さん」とお呼びします。)が自らの体験を赤裸々に語ったものです。

 

この本に書かれていることは私のゴールにとってとても大切なものですので、時間をかけてこの本に関連したお話を少しずつ語っていこうと思います。

今回はより幸福に生きるために不可欠な存在である「自己肯定感」について、それを

獲得しようとする悲しい努力のお話をします。

 

自己肯定感を獲得するための悲しい努力

 

真実さんは両親から無条件の肯定を与えられずに育ちました。

 

両親(または周囲の大人)から無条件の肯定を与えられずに育った場合、「自分は存在してもいいのだ」という基本的な自信(いわゆる自己肯定感)を持つことができません。

 

自己肯定感を持てないという状態は経験した人なら身にしみて分かると思いますが、とても辛いものです。

 

真実さんは悲しいまでの努力をすることによって自己肯定感を獲得しようとします。

 

「いい子」であることはもちろん、勉強も頑張ります。東大医学部に入るのですから、その勉強は並大抵のものではなかったことは容易に想像できます。

 

勉強を頑張り、東大医学部に入ることは普通に考えてものすごいことです。

 

しかし、ここが悲しいところで、血のにじむような努力をして東大医学部という国内最高峰の大学に入ったとしても、自己肯定感は獲得できないのです。

 

この感覚は私にも多少の経験があります。

 

自己肯定感を持てないと辛いので、自己肯定感が欲しくて努力します。

 

努力することでいくばくかの成果を得るのですが、その成果は確固たる自己肯定感をもたらしてはくれません。少しばかりのプライドは与えてくれますが、しかし依然として自己肯定感は低いままなのです。

 

そこでさらに努力しようとしますが、しかし出発点が「それをやりたい」わけではないのでずっと努力が続くものではありません。

 

どこかで限界を迎え、鬱になります。

 

真実さんも激しい鬱に苦しみますが、自己肯定感獲得を得ようとやりたくもない勉強等をすることは精神を蝕(むしば)まずにはいられません。

 

明らかに努力の方向性が間違っています。

 

さらにコーチング的にいえば、そもそも「努力」と感じた時点で何かがおかしいのです。

 

ですが、かつての私を含め、努力をせずにはいられなくなってしまうのです。自己肯定感を強烈に欲するからです。

 

なんと悲しい努力でしょうか。

 

コーチングにはこんな悲しい努力しなくても自己肯定感を獲得できるだけの力があります。

 

ぜひともコーチングと出会い、自身のなかにコーチングをインストールして欲しいと願わずにはいられません。

 

今回は以上です。

 

苫米地式コーチング認定コーチの森陽でした。

 

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まとめ「親という名の暴力」編

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森 陽 について

森陽(もりあきら)。苫米地式コーチング認定コーチ、作曲家。

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